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土司の遺跡群(世界遺産)|老司城・唐崖・海龍屯の行き方と登録基準

山あいに残る海龍屯(貴州省遵義市)の石造りの城壁と関門の遺構

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中国南西部の山あいに残る「土司の遺跡群」は、2015年に世界遺産に登録された文化遺産です。土司(どし)とは、元・明・清の中央政府から官職を与えられ、少数民族の地域を代々治めた世襲の首長のこと。湖南省の老司城(ろうしじょう)、湖北省の唐崖(とうがい)、貴州省の海龍屯(かいりゅうとん)という3つの遺跡が、13世紀から20世紀初めまで続いたこの統治の仕組みを伝えています。

3つの遺跡は3つの省に分かれ、互いに数百km離れているため、「どこから、どう行けばいいのか」が分かりにくい世界遺産でもあります。本記事では、各遺跡の見どころと拠点都市からの行き方といった旅行情報に加えて、登録基準(ii)(iii)や、推薦時に認められなかった基準など世界遺産検定のポイントを、ユネスコの公式資料と諮問機関ICOMOSの評価書にもとづいて整理します。

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この記事を書いた人:kaz-travel

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目次

土司の遺跡群とは?世界遺産の基本データ

土司の遺跡群は、3つの遺跡をひとまとまりで評価したシリアル・ノミネーション(連続性のある資産)です。UNESCOは、中央の中国の様式と地元の民族の特徴が組み合わさった遺跡が、中国王朝の統治の方法を証明すると同時に、今も続く少数民族の文化とのつながりを保っている点を評価しています。

名称土司の遺跡群(世界遺産検定の表記)
(英語名:Tusi Sites。「土司遺跡群」と表記されることもあります)
所在地中華人民共和国 湖南省・湖北省・貴州省
登録年2015年(第39回世界遺産委員会・ドイツのボン)
登録基準(2):ある期間を通じて、またはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観設計の発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
(3):現存する、あるいは消滅した文化的伝統や文明に関する独特な、あるいは稀な証拠を示すもの。
資産面積781.28ha(緩衝地帯3,125.33ha)
構成資産3件(老司城遺跡・唐崖土司城跡・海龍屯)

世界遺産センター(UNESCO公式):Tusi Sites

2015年に新たに登録された中国の世界遺産はこの1件だけで、中国の世界遺産としては48件目にあたります(UNESCOの世界遺産リストの登録年から当サイトで集計)。3つの遺跡のおおまかな位置関係と、旅行の拠点になる都市は次の模式図のとおりです。

土司の遺跡群・3つの構成資産と拠点都市の位置関係(模式図)
土司の遺跡群・3つの構成資産と拠点都市の位置関係(模式図。実際の距離・方角を正確に示すものではありません)

「土司」とは?少数民族の地域を治めた世襲の首長

この世界遺産を理解するカギは、「土司制度」という統治の仕組みです。ICOMOS(国際記念物遺跡会議)の評価書をもとに、3つのポイントで押さえておきましょう。

元・明・清の王朝が採用した統治の仕組み

元・明・清の王朝は、中国南西部の少数民族の地域で、その土地の首長を世襲の支配者「土司」に任命しました。土司は地元の社会の仕組みを保ったまま人々を治める一方、相続・朝貢・税・教育などの面で中央の行政に結びつけられていました。UNESCOは、この制度の目的を「国家の統治を一つにまとめながら、少数民族が自分たちの慣習や暮らしを保てるようにすること」と説明しています。その源流は、紀元前3世紀にさかのぼる少数民族の統治の仕組みにあるとされ、「土司」という呼び名が初めて現れたのは明の時代です。

「改土帰流」で終わった土司の時代

18世紀になると、清は多くの地域で土司を廃止し、中央から派遣した官僚による統治に切り替えました。これを「改土帰流(かいどきりゅう)」といいます。老司城は1724年に役所が移されて放棄され、唐崖の土司は1735年に領地を中央政府に差し出しました。制度そのものは、20世紀初めの封建時代の終わりとともに姿を消しています。

100か所以上の土司遺跡から選ばれた3つ

中国南西部では101か所の土司の領地の遺跡が確認されており、そのなかから保存状態や規模、価値をもとに代表として選ばれたのが老司城・唐崖・海龍屯の3つです。老司城と海龍屯は最も位の高い土司の拠点、唐崖はそれより位の低い土司の拠点で、ランクの異なる遺跡を組み合わせることで、土司制度の全体像を示す構成になっています。

3つの構成資産と見どころ

3つの構成資産の所在地・面積と、それぞれを治めた一族を一覧にしました。面積と位置はUNESCOの公式データ、一族と民族はICOMOSの評価書にもとづいています。

構成資産所在地面積治めた一族・主な民族
老司城遺跡湖南省 湘西土家族苗族自治州 永順県534.24ha彭氏(13世紀〜)・土家族
唐崖土司城跡湖北省 恩施土家族苗族自治州 咸豊県86.62ha覃氏(14世紀〜)・土家族
海龍屯貴州省 遵義市160.42ha楊氏(13世紀〜)・仡佬族、苗族

老司城遺跡(湖南省):土家族の暮らしが続く土司の都

老司城は、13世紀から彭(ほう)氏が拠点とした土司の都の跡で、3つのなかで最も広い構成資産です。霊渓河の湾曲部に沿った段々の斜面に、城壁に囲まれた住まいと役所の区画、川沿いの市場の跡が広がり、南の紫金山には明代の彭氏の墓29基が並ぶ墓地があります。役所の建物は中央の様式で造られる一方、通りの石畳には土家(トゥチャ)族の伝統的な織物に似た幾何学模様が施されており、中央と地元の文化の融合が目に見える形で残っています。

UNESCOは、遺跡の範囲内に土家族の人々が暮らし、今も踊りや儀式が行われていることから、老司城の「精神と伝統の真正性」が高いと評価しています。遺跡を歩きながら、現在の村の暮らしにも目を向けてみてください。

唐崖土司城跡(湖北省):唯一残る石の牌坊

唐崖は、14世紀から覃(たん)氏が拠点とした土司の城跡です。三方を川に囲まれた台地に、9つの門を持つ城壁の跡や、通り・排水路の跡が残っています。地上に建つ当時の建造物は、中央の公式な様式で造られた石造りの牌坊(記念門)だけで、「荊南雄鎮」の文字を掲げています。牌坊の装飾には中央の中国の題材が使われる一方、土司の巡視の様子を描いた部分には土家族の文様が見られます。城の外の張王廟の跡には、名高い将軍をしのぶ石の兵士と馬の像も残ります。

海龍屯(貴州省):断崖の山上に築かれた城塞

海龍屯は、播州を治めた楊(よう)氏の拠点で、周囲を谷に囲まれた山の上に築かれた石の城塞です。中国の報道によると、モンゴル軍の侵攻に備えて南宋の1257年に築かれ、ICOMOSの評価書によると1595〜1600年に山岳の防御拠点として造り直されました。関門・望楼などの防御施設が今も立ち並び、山上の平らな部分には土司の官邸跡(新王宮・老王宮)や役所、兵営の跡が石畳の道で結ばれています。

海龍屯の関門の一つ「朝天関」の石造りのアーチ門
海龍屯の関門の一つ「朝天関」(写真: xiquinhosilva / CC BY 2.0、リサイズして掲載)

海龍屯の歴史を決定づけたのが、1600年の明との戦いです。最後の土司・楊応龍(ようおうりゅう)が明に背き、海龍屯は明の大軍との決戦の舞台になりました。この戦いは「播州の役」と呼ばれ、豊臣秀吉の朝鮮出兵への対応(朝鮮の役)などと並ぶ明の「万暦の三大征」の一つに数えられます。敗れた海龍屯はその後明に明け渡され、楊氏による播州の支配は終わりました。

発掘調査された海龍屯の新王宮遺址(土司の官邸跡)
発掘調査された新王宮遺址(土司の官邸跡)(写真: Alphaarea / CC BY-SA 4.0、リサイズして掲載)

ICOMOSの評価書によると、3つのなかで最も多くの遺構が残るのは海龍屯ですが、石垣が厚い植物に覆われるなど保存状態に課題も抱えています。発掘で見つかった瓦や陶磁器、石碑なども、ここが軍事と行政の中心だったことを物語っています。

なぜ世界遺産?登録基準(ii)(iii)と検定のポイント

土司の遺跡群は、登録基準(ii)と(iii)で登録されています。UNESCOの評価内容と、検定でひっかけに使われやすい「推薦時との違い」を整理します。

登録基準(ii):地元の民族文化と中央の統治の「価値の交流」

UNESCOは、3つの遺跡が、中国南西部の地元の民族文化と、中央政府の仕組みを通じて表された国家としてのまとまりとの間の「人類の価値の交流」をはっきり示していると評価しました。老司城の石畳、唐崖の牌坊、海龍屯の関門など、中央の様式の建築に地元の文様が取り入れられている点が、その具体例です。

登録基準(iii):土司という統治の形の「類まれな証拠」

3つの遺跡は、中国南西部の土司制度の証拠であり、それ以前の少数民族統治の仕組みから生まれたこの統治の形と、元・明・清の時代の中国文明の類まれな証拠である、と評価されています。

推薦時の基準(vi)は認められなかった

中国は当初、基準(ii)(iii)(vi)の3つで推薦していました。基準(vi)の根拠は、遺跡が南西部の民族の今も生きている慣習・文化的伝統と直接結びついていることでしたが、ICOMOSは、老司城と唐崖ではこの基準が示されているものの、城塞だった海龍屯では遺跡での儀式が受け継がれていないことなどから、シリーズ全体としては(vi)は証明されていないと評価しました。結果として、登録は(ii)(iii)の2つで決まっています。「推薦された基準」と「登録された基準」が異なる点は、選択肢で迷いやすいポイントです。

あわせて覚えたい世界遺産

ICOMOSが比較の対象に挙げた世界遺産や、土司と関わりのある世界遺産、同じ2015年に登録された日本の世界遺産を表にまとめました。登録年と登録基準をセットで比べておくと、選択肢で迷いにくくなります。

関係する世界遺産登録年・登録基準土司の遺跡群との関係
麗江の旧市街1997年・(ii)(iv)(v)ナシ族の木氏土司が治めた町。ICOMOSの比較対象の一つ
紅河ハニ族棚田群の文化的景観2013年・(iii)(v)同じ南西部の少数民族の世界遺産。ICOMOSの比較対象の一つ
元の上都遺跡2012年・(ii)(iii)(iv)(vi)土司制度を採用した王朝の一つ、元の都
琉球王国のグスク及び関連遺産群2000年・(ii)(iii)(vi)ICOMOSが「いくつかの共通点がある」と言及した日本の世界遺産
明治日本の産業革命遺産2015年・(ii)(iv)同じ第39回世界遺産委員会(ボン)で登録された日本の世界遺産

麗江の旧市街に残る木府(もくふ)は、まさに土司・木氏の邸宅です。土司の遺跡群と麗江は「少数民族の首長が治めた地」という共通点を持ちながら、評価された登録基準が異なるので、麗江古城の解説記事とあわせて違いを確認しておくと安心です。

土司の遺跡群への行き方

3つの遺跡は湖南省・湖北省・貴州省に分かれており、それぞれ拠点となる都市が異なります。日本からの移動と、遺跡ごとの行き方に分けて紹介します。

日本から中国南西部へ

3つの遺跡はいずれも山間部にあるため、日本からは上海・北京・広州・重慶などの大都市を経由し、国内線や高速鉄道で拠点の都市へ向かうのが基本です。直行便・経由便の路線は時期によって変わるので、航空券は経由地を変えて比較してみましょう。

日本国籍の場合、2026年10月時点では30日以内の観光などはビザ(査証)免除の措置が取られています(2026年12月31日までの措置として延長が発表されています)。条件や期限は変更されることがあるため、在日本中国大使館や外務省 海外安全ホームページ(中国)で最新情報を確認してください。

老司城遺跡へ:張家界・吉首から永順県へ

老司城は、湖南省永順県の中心部から東へ20kmあまりの山あいにあります。湖南省の報道では、張吉懐高速鉄道(張家界〜吉首〜懐化)の芙蓉鎮駅から永順県の中心部を経て向かうルートが紹介されています。張家界は奇岩の絶景で知られる世界遺産武陵源の玄関口なので、武陵源と老司城を組み合わせた旅程も考えられます。ただし公共交通の便は多くないため、車をチャーターするのが現実的です。

唐崖土司城跡へ:恩施から咸豊県へ

唐崖土司城跡は、湖北省恩施土家族苗族自治州の咸豊県唐崖鎮にあり、唐崖河に面した台地に広がっています。拠点は州の中心である恩施で、そこから咸豊県へ移動し、さらに車で遺跡へ向かいます。地域の路線バスの運行状況は変わりやすいため、現地で確認するか、車のチャーターを検討しましょう。

海龍屯へ:遵義市から北の山上へ

海龍屯は、貴州省遵義市の匯川区高坪鎮にある龍岩山の上に位置します。遵義市の中心部からタクシーや配車アプリで向かうのが便利です。景区内では山上へ向かう観光車も運行されていますが、運行状況や料金は現地で確認してください。山上の城塞は石段の上り下りが多いので、歩きやすい靴で出かけましょう。なお遵義市には、赤い岩の絶景で知られる中国丹霞の構成地域の一つ「赤水」もあります。

入場料や開放時間、観光車の料金は変更されることがあるため、3つの遺跡とも訪問前に現地の案内や地図アプリで最新情報を確認してください。中国旅行全体の準備は、中国旅行の完全ガイドにまとめています。

観光日数の目安とモデルプラン

3つの遺跡はそれぞれ数百km離れているため、1回の旅行ですべてを回るには、移動日を含めて1週間前後を見込むのが現実的です。まずは1か所に絞り、近くの世界遺産と組み合わせる回り方がおすすめです。

  • 湖南プラン(2〜3日):張家界を拠点に武陵源を観光し、1日を使って老司城へ。土家族の村の暮らしと土司の都の跡をセットで見学
  • 貴州プラン(1〜2日):遵義に泊まり、半日〜1日かけて海龍屯の関門と山上の官邸跡を歩く。余裕があれば赤水の丹霞地形へ
  • 湖北プラン(1〜2日):恩施を拠点に、咸豊県の唐崖土司城跡へ日帰り。牌坊と石の兵士・馬の像は見逃さずに

ベストシーズン

3つの遺跡はいずれも山間部にあり、UNESCOも大雨による浸食を遺跡への脅威に挙げています。夏は雨が多く足元がぬかるみやすいため、屋外を長く歩く遺跡めぐりは、春や秋の過ごしやすい時期が快適です。春節(旧正月)や10月1日からの国慶節の大型連休は、交通機関も観光地も混雑するため、できれば避けると安心です。

まとめ

土司の遺跡群は、中国の王朝が少数民族の首長を通じて山岳地帯を治めた「統治の仕組み」そのものを伝える世界遺産です。最後に要点を振り返ります。

  • 検定対策:2015年登録(第39回・ボン)・基準(ii)(iii)・構成資産3件(老司城・唐崖・海龍屯)。推薦時は(ii)(iii)(vi)だったが(vi)は認められなかった。土司は元・明・清が任命した世襲の首長で、18世紀の「改土帰流」で多くが廃止
  • 旅行:3遺跡は3つの省に分かれ、拠点は老司城=張家界・吉首、唐崖=恩施、海龍屯=遵義。1か所に絞って近くの世界遺産と組み合わせるのがおすすめ

中国のほかの世界遺産や、検定で問われる世界遺産を横断的に調べたいときは、世界遺産の大辞典も活用してください。

中国への移住に興味がある方は、中国(大連)海外生活のページも参考にしてください。移住先の選定から移住準備、移住中の情報を発信しています。

よくある質問

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トラブル

土司の遺跡群はいつ世界遺産に登録されましたか?登録基準は?

2015年、ドイツのボンで開かれた第39回世界遺産委員会で登録が決まりました。登録基準は(ii)と(iii)の2つです。中国の世界遺産としては48件目にあたります。

「土司」とは何ですか?

元・明・清の王朝が、中国南西部などの少数民族の地域で、その土地の首長を任命した世襲の支配者のことです。地元の慣習や暮らしを保ちながら、国家の統治に組み込む仕組みで、13世紀から20世紀初めまで続きました。「土司」という呼び名は明の時代に初めて現れたとされます。

構成資産はどこにありますか?

湖南省永順県の老司城遺跡、湖北省咸豊県の唐崖土司城跡、貴州省遵義市の海龍屯の3件です。3つの省に分かれており、それぞれ張家界・吉首、恩施、遵義が旅行の拠点になります。

推薦時の登録基準と、実際に登録された基準は同じですか?

異なります。中国は基準(ii)(iii)(vi)で推薦しましたが、ICOMOSは基準(vi)についてシリーズ全体としては証明されていないと評価し、世界遺産委員会は(ii)(iii)で登録を決めました。

アイキャッチ画像: xiquinhosilva / CC BY 2.0(元画像をトリミング・リサイズして掲載)

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中国旅行全体の計画には、中国旅行の完全ガイド(基本情報・世界遺産マップ・効率ルート)もあわせてご覧ください。

このテーマ以外の重要用語もまとめて確認したい方は、世界遺産の大辞典をご覧ください。

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