はじめに
中国には多くの魅力的な世界遺産がありますが、今回注目するのは「秦始皇帝陵と兵馬俑坑」(上の地図④)です。本記事では、秦始皇帝陵と兵馬俑坑の概要と世界遺産の価値を詳しくご紹介していきます。

秦始皇帝陵及び兵馬俑坑の概要と世界遺産としての価値

中国の古都・西安の郊外に、20世紀最大の考古学的発見の一つとして世界を驚かせた場所があります。それが、ユネスコの世界文化遺産に登録されている秦始皇帝陵(しんのしこうていりょう)及び兵馬俑坑(へいばようこう)です。
中国史上初めて天下を統一した秦の始皇帝が、来世での安寧を願って築いたこの巨大な地下帝国は、2000年以上もの時を経てその全貌を現しつつあります。その壮大な歴史、驚くべき発掘の経緯、そして今なお残る多くの謎を、深く掘り下げていきましょう。
世界遺産としての基本情報
名称 | 秦始皇帝陵及び兵馬俑坑 |
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登録年 | 1987年 |
登録基準 | (1):人類の創造的才能を表現する傑作である。 (3):現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。 (4):人類の歴史上において、重要な時代を例証する、ある形式の建造物、建築物群、技術の集積または景観の優れた例である。 (6):顕著で普遍的な意義を有する出来事、生きた伝統、思想、信仰、芸術的作品、もしくは文学的作品と直接または明白に関連する。 |
構成資産 | 秦始皇帝陵(しんのしこうていりょう): 中国を初めて統一した秦の始皇帝(紀元前259年〜紀元前210年)の実際の陵墓(墳丘)そのものを指します。 兵馬俑坑(へいばようこう): 秦始皇帝陵の東約1.5kmに位置する、兵士や馬をかたどった陶製の像(兵馬俑)が埋められている複数の坑の総称です。 |
つまり、「秦始皇帝陵及び兵馬俑坑」という世界遺産の名称は、始皇帝の墳墓そのものと、その墳墓を守るために副葬された陶製の軍団が発見された場所の複合的な遺産群を指しているのです。
「世界八番目の不思議」と称される理由
「世界八番目の不思議」という表現は、主に秦始皇帝陵及び兵馬俑坑に対して使われることが多いですが、厳密には世界遺産リストに登録されている正式な名称や分類ではありません。これは、その発見の衝撃度、規模の壮大さ、そして芸術的・歴史的価値の高さを形容する言葉として、世界中で広く認識されるようになったものです。
具体的に「世界八番目の不思議」と称される理由は以下の点が挙げられます。
- 突如としての発見と衝撃性: 1974年に偶然、地元の農民によって発見されるまで、これほど巨大で精巧な地下軍団が存在することは、歴史書の記述以外には知られていませんでした。約2000年以上もの間、地下に埋もれていたものが突如として姿を現したそのインパクトは、世界の考古学界、そして一般の人々に計り知れない衝撃を与えました。
- 圧倒的な規模と量: 推定8,000体以上もの陶製の兵士や馬が、実際の軍隊を模して整然と並べられている光景は、まさに圧巻の一言です。これほど大規模な副葬品が、これほど良い状態で発見された例は他にありません。その規模は、古代世界の他の偉大な建造物(ピラミッド、万里の長城など)に匹敵するか、あるいはそれらを凌駕するような驚きを与えました。
- 比類なき芸術性とリアリズム: 一体一体の兵馬俑が、それぞれ異なる表情や髪型、衣装の細部に至るまで、極めて高い写実性で作り込まれている点は、当時の陶芸技術と芸術性の頂点を示しています。これらは単なる人形ではなく、まるで生きた人間がそこにいるかのようなリアリティを持ち、その多様性は見る者を飽きさせません。
- 歴史的・考古学的意義の深さ: 兵馬俑は、中国を初めて統一した秦の始皇帝という、歴史上極めて重要な人物の来世観や、当時の軍事編成、武器、生活様式などを具体的に示す、他に類を見ない生きた歴史資料です。この発見は、秦代の研究に革命をもたらし、中国古代史の理解を大きく深めました。
- 未解明の謎と神秘性: 兵馬俑の発見は大きな成果をもたらしましたが、始皇帝陵本体は未発掘であり、その内部には何が隠されているのか、兵馬俑が作られた真の目的は何だったのか、そして失われた彩色の復元など、いまだ多くの謎が残されています。こうした神秘性が、人々の想像力を掻き立て、「不思議」という形容に拍車をかけています。
これらの要素が複合的に作用し、秦始皇帝陵及び兵馬俑坑は、古代世界の他の七不思議に比肩する、あるいはそれらを超えるような感動と驚きを与える存在として、「世界八番目の不思議」と称されるようになったのです。
秦始皇帝陵の歴史:始皇帝が築いた地下帝国
中国の歴史上、最も強大な権力と並外れた統率力で知られるのが、中国全土を初めて統一した秦の始皇帝です。彼の陵墓は、生前の栄華をそのまま来世へと持ち込むことを願って築かれた、まさに地下に眠る巨大な帝国でした。
秦の始皇帝とは
秦の始皇帝(紀元前259年〜紀元前210年、在位:紀元前247年〜紀元前210年)は、姓は嬴(えい)、名は政(せい)と言います。彼は紀元前247年に13歳で秦王として即位しました。当時、中国は「春秋戦国時代」と呼ばれる、多くの国々が覇権を争う混乱の時代でした。
政は即位後、強力な軍事力と優れた戦略を用いて、東方の六国(韓、魏、趙、燕、斉、楚)を次々と滅ぼしました。そして紀元前221年、ついに中国全土を統一し、自らを「皇帝」と称しました。これは、中国史上初めての統一王朝である秦の誕生であり、彼が「始皇帝」(最初の皇帝)と呼ばれる所以です。
始皇帝は、広大な統一国家を効率的に統治するため、それまでの封建制を廃止し、皇帝が直接各地を支配する郡県制を導入しました。また、文字、貨幣、度量衡(長さ、重さ、体積の基準)を統一し、さらに交通網を整備するなど、その後の中国の歴史に多大な影響を与える中央集権国家の基礎を築きました。一方で、思想統制のための「焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)」を行うなど、その統治は厳格で独裁的でした。
陵墓建設の壮大さと動員された人々
始皇帝は、自らの死後の世界も生前と同じように統治することを願い、生前の栄華を再現した壮大な陵墓の建設を、なんと13歳で王位に就いた紀元前246年から着手しました。そして、彼の死後も工事が続けられたとされ、約38年間という途方もない歳月が費やされました。
この巨大な国家プロジェクトには、記録によれば最大で70万人以上の人々が動員されたと言われています。当時の秦の総人口が約2000万人と推定される中、これは国家の総力を挙げた、まさに想像を絶する規模の工事でした。動員された人々は、囚人や徴用された民衆であり、過酷な労働と厳しい管理のもとで建設に従事させられました。彼らは、遠く離れた場所から資材を運び、広大な地下空間を掘り進め、そして数えきれないほどの兵馬俑やその他の副葬品を制作していったのです。陵墓の設計は宰相の李斯(りし)が担当し、少府令の章邯(しょうかん)が建設を監督したとされています。
『史記』が伝える陵墓の秘密
始皇帝陵の内部構造について、最も詳細な記述を残しているのは、前漢時代の歴史家・司馬遷(しばせん)が著した中国最古の歴史書『史記(しき)』です。『史記』の「秦始皇本紀」には、始皇帝陵に関する驚くべき記述が残されています。
それによれば、陵墓は地下深く掘り進められ、最深部まで銅板が敷き詰められた地下宮殿が築かれたとされています。宮殿の内部には、皇帝が住むための豪華な建物や百官(多くの役人)の像、そして珍奇な宝物が満載されていました。
さらに驚くべきは、侵入者を自動的に射るための仕掛け弓矢が設置され、地下には水銀を用いて百川江河大海(百の川、大河、大海)が再現されていたという記述です。天井には宝石や真珠で天文が象られ、床には地理が再現されるなど、死後の始皇帝が来世でも全宇宙を支配するかのような壮大な世界が構築されていました。また、人魚の脂を燃やすことで、永遠に燃え続ける「不滅の燭台」が設置されたとも記されています。
これらの記述は、古代の文献であるため、どこまでが事実でどこからが誇張なのか、長らく議論の対象となってきました。しかし、現代の考古学的調査では、陵墓の地下から高濃度の水銀が検出されており、『史記』の記述が一部裏付けられる形となっています。この水銀の存在は、陵墓の本格的な発掘が困難である理由の一つにもなっています。
陵墓本体と兵馬俑坑の位置関係
秦始皇帝陵は、東西約5km、南北約2.5kmにも及ぶ広大な陵園を形成しており、その中心に巨大な墳丘である始皇帝陵本体が位置しています。この陵園は、内城と外城の二重の城壁で囲まれており、当時の秦の都・咸陽(かんよう)を模した構造であると考えられています。
兵馬俑坑は、この始皇帝陵本体の東約1.5kmの地点に位置しています。兵馬俑の軍団がすべて東を向いているのは、当時の秦が中国の西端に位置し、東方に旧六国(韓、魏、趙、燕、斉、楚)が存在していたため、死後も東からの侵略に備え、始皇帝の地下世界を守護するための配置であったと考えられています。
つまり、兵馬俑は独立した遺跡ではなく、始皇帝陵という巨大な地下帝国の一部であり、その広大な陵園の中に計画的に配置された、皇帝の護衛部隊としての役割を担っていたのです。陵墓本体の周辺には、兵馬俑以外にも、青銅製の馬車が発見された銅車馬坑など、多くの陪葬坑や遺物が発見されており、これら全体が始皇帝の死後の世界を再現するための壮大な設計思想に基づいていたことを示しています。
兵馬俑坑の発見:20世紀の考古学的奇跡
秦の始皇帝が築いた地下帝国は、2000年以上もの間、砂の中に静かに眠り続けていました。その存在は歴史書に記されているのみで、具体的な場所や規模は謎に包まれていました。しかし、20世紀後半のある日、思いがけない偶然から、世界を驚愕させる大発見がもたらされます。
偶然の発見とその経緯
1974年3月、中国陝西省臨潼(りんどう)区の西楊村(せいようそん)に住む数人の農民が、長引く日照りのため、畑に井戸を掘っていました。彼らが地下約5メートルまで掘り進めた時、硬い土の塊の中から、これまで見たことのない陶器の破片と、奇妙な「人骨のようなもの」を発見しました。
彼らは当初、それが単なる古い窯跡か、あるいは縁起の悪い死体の一部だと考え、あまり気に留めませんでした。しかし、その破片に通常の陶器とは異なる精巧な造りが見られたため、数人の農民は地元の文物局に報告しました。報告を受けた文物局の考古学者たちは、すぐに現地調査に乗り出しました。
当初、地方政府は発見の重要性を完全に認識していませんでしたが、専門家による詳細な鑑定の結果、この陶器が紀元前3世紀、つまり秦の時代に作られた兵士の像であることが判明しました。これこそが、世界を驚愕させる兵馬俑坑の、まさに劇的な発見の瞬間でした。その後の本格的な発掘調査によって、地下に広がる想像を絶する規模の地下軍団の存在が明らかになり、この発見は「20世紀最大の考古学的発見」として、瞬く間に世界中に報じられることになります。
主要な3つの坑の概要と規模
現在までに、兵馬俑坑は主に1号坑、2号坑、3号坑の3つの主要な坑が発掘・公開されており、それぞれが異なる軍事的な役割を担っていたと考えられています。これらの坑は、始皇帝陵本体の東約1.5kmの地点に、巧妙に配置されています。
- 1号坑(歩兵を中心とした主力部隊)
- 規模と概要: 最初に発見され、最も規模が大きい坑です。東西230m、南北62m、深さ5mという広大な長方形の空間を占めています。総面積は約14,260平方メートルにも及び、これは野球場や陸上競技場のグラウンドに匹敵する大きさです。
- 構成: 推定で約6,000体もの兵士や馬が埋められているとされ、そのほとんどが歩兵で構成されています。東西に長く伸びる配列は、当時の秦の主力部隊、すなわち「中央軍」を表していたと考えられています。先頭には前鋒部隊が、側面には側翼部隊が配置されるなど、厳格な軍事陣形が再現されています。兵士たちは、武器を手に整然と並び、今にも東方へと進軍を始めそうな迫力に満ちています。
- 見どころ: 整然と並ぶ兵馬俑の壮大な光景は、初めて兵馬俑を訪れる人が最も感動する場所であり、兵馬俑の代名詞とも言える存在です。発掘された俑の修復作業もここで行われているため、その様子を間近で見学できることもあります。
- 2号坑(騎兵、弓兵、戦車を擁する多様な部隊)
- 規模と概要: 1号坑の北東に位置し、その形状はL字型をしています。総面積は約6,000平方メートルで、1号坑の約半分ほどの規模です。
- 構成: 約1,400体もの兵士と騎兵、戦車が埋められているとされ、1号坑に比べて兵種が非常に多様です。ここには、弓を構える跪射俑(ひざまずいて弓を射る兵士)や立射俑(立って弓を射る兵士)、そして騎馬に乗る騎兵俑、さらには戦車部隊などが配置されています。これは、当時の秦軍における機動部隊や弓兵部隊など、多兵種で構成された部隊の様子を再現していると考えられています。
- 見どころ: 多様な兵種や、それぞれの役割に応じたポーズの兵馬俑を見ることができます。また、一部はガラスケース越しに、発掘されたばかりの兵馬俑が土の中に埋もれた状態で保存されている様子や、修復中の様子を見学できることもあり、考古学的な発見の現場の雰囲気を肌で感じることができます。
- 3号坑(軍事司令部)
- 規模と概要: 3つの坑の中で最も小さく、凹型をしています。総面積は約520平方メートルと、他の坑に比べて極めて小規模です。
- 構成: わずか68体の兵士(その多くが将軍や高級軍吏)と、4頭立ての戦車1両が埋められています。兵士たちは向かい合うように配置されており、この配置から、ここが軍事司令部(幕営)であり、秦軍全体の指揮を執る場所であったと考えられています。
- 見どころ: 他の坑のような壮大な兵士の列を見ることはできませんが、ここには高級軍吏俑(将軍俑)が多く見られ、その威厳ある姿や精巧な鎧、冠の細部に注目できます。古代の軍事戦略や指揮系統を考察する上で非常に重要な場所です。
これらの主要な3つの坑の他にも、1980年には始皇帝陵の西側で、実物の半分ほどの大きさの青銅製の馬車と御者が2台発見されました(銅車馬)。これは、当時の最高の技術と芸術性が注ぎ込まれた傑作で、精密な構造と装飾が施されており、現在は秦始皇帝陵博物院の展示館で修復された状態で公開されています。
世界に与えた衝撃と意義
兵馬俑坑の発見は、単なる考古学的発見に留まらず、世界中の人々に計り知れない衝撃と感動を与えました。その意義は以下の点に集約されます。
- 20世紀最大の考古学的発見: これほど大規模で、かつ芸術的に優れた古代の地下遺構が、約2200年もの時を経て突如として姿を現したことは、まさに奇跡と呼ぶにふさわしいものでした。この発見は、世界の考古学史に新たな1ページを刻みました。
- 古代中国のリアリズムの証: 兵馬俑は、古代中国の軍隊がどれほど巨大で組織的であったか、そして当時の人々がどれほど高度な陶芸技術と芸術性を持っていたかを、具体的な形で示しました。一体一体が異なる表情を持つ兵士の像は、当時の人々が単なる画一的な人形ではなく、個々の人間としてモデル化されていた可能性を示唆し、古代文明のリアリズムに対する認識を大きく変えました。
- 始皇帝の思想と権力の可視化: 兵馬俑は、中国統一を成し遂げた始皇帝の、来世においても現世と同じように国家を統治しようとした圧倒的な権力と強烈な死生観を視覚的に具現化したものです。この巨大な地下軍団は、始皇帝の絶対的な支配力と、彼が築き上げた帝国の威容を象徴しています。
- 「世界八番目の不思議」としての魅力: その規模、精巧さ、そして未解明な神秘性から、兵馬俑は「世界の七不思議」に続く「世界八番目の不思議」と称されるようになりました。これにより、世界中の人々が中国の歴史と文化に興味を持つきっかけとなり、西安は国際的な観光地としての地位を確立しました。
兵馬俑坑の発見は、私たちに古代文明の奥深さと、未だ知られざる歴史のロマンを教えてくれる、まさに人類共通の宝なのです。
兵馬俑の芸術:圧倒的なリアリティと多様性
秦始皇帝陵を護る兵馬俑は、単なる量で世界を驚かせたわけではありません。その真の魅力は、一体一体が持つ圧倒的なリアリティと、驚くべき多様性にあります。2000年以上前の職人たちの卓越した技術と芸術性が、陶土の中に息づいています。
一体一体が異なる表情と個性
兵馬俑坑に埋められた8,000体以上もの兵士像は、一体として同じ顔を持つものがありません。これは、兵馬俑の最大の驚きであり、その芸術性を際立たせる要素です。兵士たちの表情は、若々しい者から年老いた者、笑みを浮かべる者、苦悩に沈む者、厳粛な者など、実に様々です。髪型、髭の形、耳の形、目つき、鼻の高さに至るまで、それぞれが異なる特徴を持っています。
これは、単なる型にはめて大量生産したものではなく、個々に粘土を盛り付け、顔の彫刻を施すなど、丹念に作り上げたことを示しています。当時の職人たちが、実際に生きていた兵士たちの姿をモデルにしたのか、あるいは多様な個性を意図的に創造したのかは定かではありませんが、その細部のこだわりは、当時の人々の生命感と、その描写にかける情熱を伝えています。兵馬俑は、2200年前の中国の人々の多様な個性を、陶器の中に永遠に閉じ込めたかのような存在と言えるでしょう。
精巧な衣装と装備の再現
兵馬俑の兵士たちは、それぞれが属する階級や役割に応じて、極めて精巧な衣装と装備を身につけています。将軍、騎兵、歩兵、弓兵、御者など、兵種ごとに異なる鎧、兜、靴、そして武器が忠実に再現されています。
- 鎧(よろい): 兵士の階級や役割によって、鎧の素材や形状、重ね方、留め具の有無などが細かく異なっています。例えば、将軍は重厚な板状の鎧を、軽装の歩兵はより柔軟な鎧を着用しています。鎧の鱗状の装飾や、それを留める紐の結び方までが、驚くほど詳細に表現されています。
- 衣装: 鎧の下に着用している袍(ほう)や褲(こ)といった衣服のしわやたるみ、帯の結び方などもリアルに再現されています。これにより、兵士たちの動きや体型がより自然に見えます。
- 武器: 多くの兵馬俑は、かつては実際に木製の柄や金属製の穂先を持つ武器(青銅剣、槍、弩など)を手にしていたと考えられています。現在では武器の多くは失われていますが、その痕跡から当時の武器の種類や持ち方をうかがい知ることができます。
- 髪型と冠: 兵士たちの髪型は、当時採用されていた様々な結び方や、冠の形状によって、階級や身分が区別できるようになっています。
これらの細部の再現は、当時の秦の軍装に関する貴重な情報源であり、2200年前の軍隊がどれほど組織的で、装備が標準化されていたかを物語っています。
躍動感あふれるポーズと表現
兵馬俑の兵士たちは、ただ直立しているだけでなく、今にも動き出しそうな躍動感に満ちたポーズを取っています。
- 弓兵(射手): 膝を突いて弓を構える「跪射俑(きしゃよう)」や、直立して弓を引く「立射俑(りっしゃよう)」は、まさに矢を放つ直前の緊張感を表現しています。
- 御者: 戦車の御者は、手綱を握りしめ、馬を操るための体勢を取っており、その集中力が伝わってきます。
- 騎兵: 馬にまたがる騎兵俑は、馬の背にしっかりと固定され、馬上での安定した姿勢を示しています。
- 馬の像: 兵馬俑に付随する陶馬の像もまた、力強く疾走する姿や、いななく姿が表現されており、そのたてがみや筋肉の隆起は、生きているかのような迫力を持っています。
これらのポーズは、静止した陶像でありながらも、古代の軍隊が展開する動きや戦場の緊迫感を想像させます。兵馬俑全体が、一つの巨大な軍事パノラマを形成しているかのようです。
失われた鮮やかな彩色
兵馬俑が発掘された当初、その表面には鮮やかな色彩が施されていたことが確認されています。赤、緑、青、黄、紫、白など、多様な色が使われ、顔の肌色や服の色、鎧の装飾まで、生身の人間のように彩られていました。漆で下地を塗り、その上から鉱物性の顔料を塗布するという、当時の高度な彩色技術が用いられていたのです。
しかし、土中から掘り出され、空気や光に触れると、塗料が酸化したり、急激な乾燥によって収縮したりすることで、驚くほど速く剥がれ落ちてしまいました。現在、私たちが目にする兵馬俑のほとんどが土の色をしているのは、このためです。発掘作業は、彩色をいかに保護しながら進めるかという、困難な課題と常に隣り合わせで行われています。
この失われた彩色は、兵馬俑が単なる土色の彫像ではなかったことを物語っています。もし、発掘された当初の鮮やかな姿をそのまま見ることができたなら、そのリアリティと芸術性は、現在の私たちの想像をはるかに超えるものだったでしょう。そのため、発掘された兵馬俑の彩色を安定的に保存し、あるいは再現する技術は、現在も莫高窟における最大の研究課題の一つとなっています。この技術が確立されれば、兵馬俑は再び、その本来の姿で私たちを驚かせることになるでしょう。
兵馬俑の芸術は、古代中国の職人たちが持っていた並外れた創造力と技術力、そして、始皇帝の強大な権力と死生観が融合して生み出された、まさに人類の至宝と言えるものです。一体一体に宿る個性と、全体が織りなす壮大な軍団の姿は、2200年前の秦の時代を、今に伝える生きた証しとなっています。
主要な兵馬俑坑:それぞれの役割と見どころ
秦始皇帝陵の東約1.5kmに位置する兵馬俑坑は、現在主に1号坑、2号坑、3号坑の3つの主要な坑が発掘・公開されています。これらは単に兵馬俑が埋まっているだけでなく、それぞれが秦軍の異なる部隊編成を再現しており、当時の軍事戦略を垣間見ることができます。
1号坑:歩兵を中心とした主力部隊
兵馬俑坑の中で最も規模が大きく、最初に発見されたのが1号坑です。
- 規模と構成: 東西230m、南北62m、深さ5mという広大な長方形の空間を占め、その総面積は約14,260平方メートルにも及びます。ここには、推定で約6,000体もの兵士像と馬が埋められているとされており、そのほとんどが歩兵で構成されています。
- 役割と陣形: 1号坑は、秦軍の主力部隊、すなわち「中央軍」を表していたと考えられています。整然と東西に長く伸びる配列は、古代中国の典型的な歩兵部隊の陣形を再現しています。先頭には前鋒部隊が、側面には側翼部隊が配置されるなど、厳格な軍事編制がうかがえます。
- 見どころ: 1号坑の最大の魅力は、その圧倒的なスケールです。ずらりと並ぶ兵士たちの姿はまさに圧巻で、初めて訪れる人はその光景に言葉を失うでしょう。現在も発掘や修復作業が続けられており、ガラス越しにその様子を見学できることもあります。一体一体異なる表情を持つ兵士たちの顔や、鎧の細部にまで注目してみてください。
2号坑:騎兵、弓兵、戦車を擁する多様な部隊
1号坑の北東に位置する2号坑は、1号坑とは異なる多様な兵種で構成されています。
- 規模と構成: L字型をしており、総面積は約6,000平方メートルです。ここには、約1,400体もの兵士と騎馬、戦車が埋められていると推定されています。
- 役割と陣形: 2号坑は、騎兵、弓兵、戦車部隊など、より機動性と攻撃力に優れた部隊を表していたと考えられています。これは、秦軍が単なる歩兵だけでなく、多様な兵種を組み合わせていたことを示しています。
- 見どころ: 2号坑では、兵種ごとの特徴的な兵馬俑を間近で見学できます。特に、以下のような兵馬俑は必見です。
- 跪射俑(きしゃよう): 膝をついて弓を構える兵士の像。まさに矢を放つ直前の緊張感が伝わります。
- 立射俑(りっしゃよう): 立って弓を引く兵士の像。
- 騎兵俑: 馬にまたがる騎兵の像。当時の騎兵の姿や装備がよくわかります。
- ガラスケース越しに、発掘されたばかりの兵馬俑が土の中に埋もれた状態で保存されている様子や、修復作業の現場を見られる場所もあり、考古学的な発掘のリアルな雰囲気を体感できます。
3号坑:軍事司令部
3つの坑の中で最も小さく、最後に発見されたのが3号坑です。
- 規模と構成: 凹型をしており、総面積は約520平方メートルと、他の坑に比べて極めて小規模です。わずか68体の兵士と、4頭立ての戦車1両が埋められています。
- 役割と陣形: その規模と配置から、3号坑は秦軍全体の**軍事司令部(幕営)**であったと考えられています。兵士たちは向かい合うように配置されており、これは軍議を行う様子を示唆しているとも解釈されています。
- 見どころ: 他の坑のような壮大な兵士の列を見ることはできませんが、ここには**高級軍吏俑(将軍俑)**が多く見られ、その威厳ある姿や精巧な鎧、冠の細部に注目できます。古代の軍事戦略や指揮系統を考察する上で、非常に重要な場所です。小規模ながらも、秦軍の頭脳部分を垣間見ることができる、戦略的に重要な坑と言えるでしょう。
銅車馬の発見と展示
兵馬俑坑からさらに重要な発見として、1980年に秦始皇帝陵の西側で出土したのが**銅車馬(どうぞば)**です。
- 概要と特徴: これは、実物の約半分ほどの大きさ(高さ約1m、長さ約3m)の青銅製の豪華な馬車と御者の像です。2台が発見され、1号車は開路車(皇帝の車列を先導する車)、2号車は安車(皇帝が乗る休息用の車)と考えられています。
- 芸術性と技術力: 銅車馬は、これまで発見された秦代の青銅器の中でも最高の技術と芸術性が投入された傑作として知られています。車体や馬具、御者の衣装の細部に至るまで、極めて精巧に作られており、当時の金属加工、彫刻、彩色技術の粋を集めたものと言えるでしょう。特に、連結部分の精密さや、馬具の装飾の美しさは目を見張るものがあります。
- 展示場所: 銅車馬は、出土当初は粉々に砕けた状態でしたが、長年の修復作業を経て、現在は**秦始皇帝陵博物院の展示館(兵馬俑博物館内)**で、完璧に復元された状態で公開されています。兵馬俑と共に、始皇帝の死後の世界を彩った重要な副葬品として、必ず見学しておきたい展示品です。
これらの主要な坑や銅車馬の展示を通じて、私たちは秦の始皇帝が築いた地下帝国の壮大さと、古代中国の軍事力、そしてそこに込められた人々の並外れた技術と芸術性を肌で感じることができます。
今なお残る多くの謎:兵馬俑が問いかける古代の真実
秦始皇帝陵及び兵馬俑坑は、20世紀最大の考古学的発見として世界を驚かせましたが、その全貌が明らかになったわけではありません。むしろ、その壮大な発見は、いまだ多くの未解明な謎を私たちに突きつけています。これらの謎は、兵馬俑が古代の真実を伝える生きた証拠であると同時に、未来へと続く探求心を刺激するものです。
陵墓本体の未発掘とその理由
兵馬俑坑はあくまで始皇帝陵の一部であり、その中心には巨大な墳丘(陵墓本体)がそびえ立っています。しかし、この陵墓本体は、現在まで本格的な発掘が行われていません。その理由としては、主に以下の点が挙げられます。
- 水銀による汚染と安全性への懸念: 『史記』には、陵墓内部に水銀で再現された百川江河大海があると記されています。実際に陵墓周辺の土壌からは高濃度の水銀が検出されており、これが事実であることを裏付けています。大量の水銀は有毒であり、発掘作業員の健康被害や、環境汚染のリスクが懸念されています。
- 文化財保護の観点: 陵墓内部には、壁画や木製の構造物、絹製品など、空気や光、湿度の急激な変化に弱い貴重な文化財が眠っていると考えられています。現在の技術では、これらの文化財を完璧な状態で保護しながら発掘・保存する保証がないため、安易な発掘は、取り返しのつかない損失につながる可能性があります。
- 未解明な仕掛けと罠: 『史記』には、陵墓内部に侵入者を防ぐための自動式の仕掛け弓矢などの罠が設置されているという記述もあります。こうした記述が事実であれば、発掘作業の安全性はさらに低くなります。
- 将来の技術進歩への期待: 現在よりもはるかに進んだ発掘、保存、修復技術が開発されるまで、安易に手を出すべきではないという慎重な姿勢が、中国政府や考古学界にはあります。より安全で確実な方法が確立されるまで、陵墓は静かに眠り続けることが最善だと考えられています。
- 地元の反対意見: 一部の地元住民の中には、墓を掘り起こすことに対する宗教的・伝統的な抵抗感や、始皇帝を冒涜することへの懸念が存在するという見方もあります。
これらの理由から、始皇帝陵本体は、未来の技術に託された「究極の謎」として、いまだその全貌を地下深くで秘めたままなのです。その内部に一体どのような世界が広がっているのか、人類の好奇心は尽きることがありません。
兵馬俑の未解明な部分と将来の期待
兵馬俑坑の発見は世界を驚かせましたが、現在発掘・公開されている部分は、そのごく一部に過ぎません。まだ広大な領域が地下に眠っており、今後も新たな発見があることが期待されています。
- 未発掘の坑や遺物: 1号坑、2号坑、3号坑以外にも、陵園内には様々な性格を持つ陪葬坑が存在することが確認されており、今後発掘が進めば、新たな兵種や、これまで知られていなかった副葬品が姿を現す可能性があります。例えば、「百戯俑坑」と呼ばれる坑からは、雑技を行う人物の俑が発見されており、始皇帝の死後の娯楽を再現した場所であったと考えられています。
- より詳細な情報: 既存の坑でも、発掘調査は継続的に行われており、新たな兵馬俑や武器、道具などが日々発見されています。これらの発見は、当時の社会、軍事、文化に関するより詳細な情報をもたらし、秦王朝の謎をさらに深く解き明かす手がかりとなるでしょう。
- デジタル技術の活用: 考古学の分野でも、デジタル技術の活用が進んでいます。3DスキャンやAI分析などにより、未発掘部分の内部構造を推測したり、出土した文物の情報をより正確に記録・分析したりすることが可能になっています。これにより、将来的な発掘作業がより効率的かつ安全に進められることが期待されます。
兵馬俑建設の真の目的
兵馬俑がこれほどまでに大規模かつ精巧に作られた目的については、様々な説が唱えられていますが、その真の意図は未だ完全には解明されていません。
- 来世での守護と統治: 最も一般的な解釈は、始皇帝が死後もその絶対的な権力を維持し、広大な国家を統治し続けるために、現世の軍隊をそのまま地下に再現して護衛させようとした、というものです。兵馬俑の軍団がすべて東を向いているのは、東方に旧六国が存在していたため、死後も東からの侵略に備える意味があったと考えられます。
- 皇帝の権威の象徴: 生前から、自身の強大な権力を国内外に示すための象徴として建設された、という側面も考えられます。死後もその威厳が保たれることを願ったのでしょう。
- 道教的・仙道的思想の影響: 始皇帝は不老不死を強く追求したことで知られます。兵馬俑の建設も、単なる副葬品としてではなく、死後の世界で皇帝が永遠の命を享受するための何らかの儀式や信仰に基づいていた可能性も指摘されています。
- 殉死の代替: 古代には、王の死に際して多くの人々が殉死させられる風習がありました。兵馬俑は、そうした人身供犠の代替として、陶製の人形を埋葬するようになった、という見方もあります。
これらの説は互いに排他的ではなく、複合的な目的が兵馬俑の建設にはあったと考えるのが自然でしょう。
彩色技術の再現という課題
兵馬俑が発掘された当初、その表面には赤、緑、青、黄などの鮮やかな彩色が施されていました。しかし、地中から掘り出され、空気や光、湿度の急激な変化にさらされると、塗料が酸化したり、漆の下地が収縮したりすることで、あっという間に剥がれ落ちてしまいました。現在、私たちが目にする兵馬俑のほとんどが土の色をしているのは、このためです。
この「彩色の剥離」は、兵馬俑の保存における最大の課題の一つです。考古学者や保存修復専門家たちは、この貴重な彩色をいかに保護し、その鮮やかさを維持するかという難題に直面しています。
- 保存技術の進展: 現在、発掘現場では、出土した彩色兵馬俑を空気に触れさせる時間を最小限に抑え、特別な保存液を塗布するなどの緊急保護措置が講じられています。また、特定の温度・湿度を保つ展示ケースの開発など、様々な技術が導入されています。
- 再現への挑戦: 失われた彩色の痕跡を分析し、当時の顔料や塗布方法を特定する研究も進められています。将来的には、これらの分析結果に基づいて、兵馬俑本来の鮮やかな姿をデジタル技術で再現したり、あるいは一部のレプリカで彩色を復元したりすることも期待されています。
この課題は、莫高窟の壁画の保存とも共通するものであり、古代の芸術を未来へと継承するための、人類共通の挑戦と言えるでしょう。
アクセスと観光情報:兵馬俑坑を訪れるために
秦始皇帝陵及び兵馬俑坑は、中国陝西省の省都・西安市の郊外に位置しており、世界中から観光客が訪れる人気の高い世界遺産です。
西安市内からのアクセス方法
西安市内から兵馬俑坑へのアクセスは、非常に整備されており、いくつかの方法があります。
- 観光バス(「游5路 306」など):
- 最も一般的で、費用も安く、便利です。
- 西安駅の東広場(東側出口を出てすぐの場所)から「游5路」(遊5路、または306路バス)のバスが頻繁に運行しています。バスには「兵馬俑」の表示が出ています。
- 所要時間は、交通状況にもよりますが、約1時間〜1時間半です。
- 偽のバスや客引きに注意し、正規のバス停から乗車するようにしましょう。
- タクシー:
- 西安市内からタクシーを利用することも可能です。所要時間は約1時間ほどですが、料金はバスに比べて高くなります。
- 兵馬俑坑の入り口まで直接乗り入れることができますが、ドライバーとの料金交渉や、帰りのタクシーの確保に注意が必要です。
- 専用送迎車/ツアーバス:
- 現地の旅行会社が提供する専用送迎車や、日帰りツアーバスを利用することもできます。料金は上がりますが、乗り換えの手間がなく、英語ガイドなどが付く場合もあります。
チケットの購入と見学のポイント
兵馬俑坑を見学するためには、「秦始皇帝陵博物院」のチケットを購入します。
- チケットの種類と購入:
- チケットは、博物院の窓口で購入できますが、特に観光シーズン(春から秋、および中国の祝日)は非常に混雑し、長蛇の列になることがあります。
- **オンラインでの事前予約(公式ウェブサイトまたは提携サイト)**が強く推奨されます。パスポート情報が必要となることが一般的です。
- 有効なパスポートは入場時にも提示を求められるので、必ず持参してください。
- 入場と見学の流れ:
- チケット購入(またはオンライン予約の確認): まず、入口でチケットを購入(またはオンライン予約のQRコードなどを提示)します。
- セキュリティチェック: 厳重なセキュリティチェックを通過します。
- シャトルバス乗車: 入口から主要な兵馬俑坑の建物までは少し距離があるため、園内を走る無料のシャトルバス(または徒歩)で移動します。
- 各坑の見学: 1号坑、2号坑、3号坑の順に見学するのが一般的です。各坑はそれぞれ巨大な屋根で覆われた建物の中にあります。
- 銅車馬の展示: 銅車馬は別の展示館にありますので、見逃さないようにしましょう。
- 始皇帝陵本体(墳丘)への移動: 兵馬俑坑からさらにシャトルバスで、始皇帝陵本体の墳丘まで移動し、外観を見学することができます(内部には入れません)。
見学にかかる時間の目安
兵馬俑坑の見学は、その広大さから、ある程度の時間を確保する必要があります。
- 主要な坑の見学: 1号坑、2号坑、3号坑、そして銅車馬の展示館をゆっくり見て回るには、約2時間半〜3時間は必要です。
- 全体の見学時間: アクセスの時間や、園内のシャトルバスでの移動、休憩なども考慮すると、合計で半日(約4〜5時間)を確保しておくのがおすすめです。もし、より詳細に見て回りたい場合や、混雑が予想される時期に訪問する場合は、さらに余裕を持ったスケジュールを組むと良いでしょう。
兵馬俑は、古代の偉大な文明が残した壮大な遺産です。時間に余裕を持って訪れ、その圧倒的なスケールと細部に宿る芸術性を存分に堪能してください。
まとめ:人類の歴史に刻まれた偉大な遺産
秦始皇帝陵及び兵馬俑坑は、中国の歴史が育んだ比類なき文化遺産であり、その発見から半世紀が経った今もなお、世界中の人々を魅了し続けています。その歴史的、芸術的価値を再確認し、この偉大な遺産が未来へ伝えるメッセージを考えてみましょう。
歴史的、芸術的価値の再確認
秦始皇帝陵及び兵馬俑坑は、以下の点で人類の歴史と芸術に計り知れない価値をもたらしています。
- 中国統一の象徴: この遺跡は、中国史上初めて広大な領域を統一し、中央集権国家の基礎を築いた秦の始皇帝という、極めて重要な人物の思想と権力を具体的に示すものです。彼の来世での安寧と永遠の統治への願いが、これほどまでの規模と精巧さで具現化されたことは、当時の国家の強大さと、それを可能にした統治体制の確立を雄弁に物語っています。
- 古代軍事文化の生きた記録: 兵馬俑の軍団は、2200年前の秦代の軍事編成、兵種、武器、装備、そして戦術に至るまでを、驚くほどのリアリティで再現しています。一体一体異なる表情を持つ兵士たち、精巧な鎧や装飾品、そして躍動感あふれる馬の姿は、古代中国の軍事文化を研究する上で、他に類を見ない生きた資料となっています。これは、歴史書だけでは知り得ない、当時の人々の生活や社会の様子を具体的に教えてくれます。
- 卓越した芸術性と技術力の結晶: 兵馬俑は、単なる量で圧倒するだけでなく、その芸術的質の高さにおいても世界トップレベルです。陶土を用いてこれほど精巧な人体や馬の像を大量に作り出し、それぞれに個性を与え、さらに鮮やかに彩色を施した当時の職人たちの技術力と創造性は、現代の私たちをも驚かせます。銅車馬のような青銅器の傑作もまた、古代中国の金属加工技術が到達した高みを示しており、当時の文明の先進性を証明しています。
世界遺産として未来へ伝えるメッセージ
「世界八番目の不思議」と称される秦始皇帝陵及び兵馬俑坑は、単なる過去の遺物ではありません。それは、現代そして未来へと続く私たちへの重要なメッセージを内包しています。
- 人類の創造力と技術の無限の可能性: 約2200年前の技術で、これほど巨大で精緻な地下帝国が築かれたという事実は、時代の制約を超えた人類の創造力と技術力の可能性を示唆しています。私たちは、過去の偉業から学び、新たな挑戦へと向かうインスピレーションを得ることができます。
- 文化遺産保護の重要性: 兵馬俑の鮮やかな彩色が発掘後に失われてしまった例は、文化遺産がいかに脆弱であり、その保護がいかに困難であるかを私たちに教えてくれます。未来の世代にこれらの宝を引き継ぐためには、最新の科学技術と、国際的な協力体制による地道な保存・修復活動が不可欠であるというメッセージを、莫高窟と同様に強く発信しています。
- 歴史の深遠さと探求のロマン: 始皇帝陵本体が未だ発掘されていないこと、兵馬俑の真の目的が完全には解明されていないことなど、この遺跡には多くの謎が残されています。これらの謎は、私たちに歴史の深遠さを再認識させ、尽きることのない探求心を呼び起こします。過去の偉大な文明が残した痕跡を解き明かすロマンは、人類の知的好奇心を刺激し続けるでしょう。
秦始皇帝陵及び兵馬俑坑は、中国の偉大な歴史と文化を象徴するだけでなく、人類共通の遺産として、私たちに過去から学び、未来へと創造し続けることの重要性を教えてくれる、貴重な存在です。この地下帝国が語りかけるメッセージに耳を傾け、その壮大なスケールと深い歴史の重みを、ぜひ自身の目で感じ取ってみてください。
よくある質問
兵馬俑坑の場所はどこですか? 西安市内からどうやって行けばいいですか?
兵馬俑坑は、中国陝西省(せんせいしょう)の省都・西安市(せいあんし)の臨潼(りんどう)区に位置しています。西安市中心部から東へ約40kmの場所にあります。
西安市内からの主要なアクセス方法は以下の通りです。
- 観光バス(「游5路 306」など): 西安駅の東広場(東側出口を出てすぐ)から出発する「游5路」(または306路バス)が最も一般的で便利です。料金も安価で、所要時間は交通状況にもよりますが約1時間〜1時間半です。
- タクシー: 西安市内からタクシーを利用することも可能ですが、料金はバスより高くなります。兵馬俑坑の入り口まで直接乗り入れ可能です。
- オンライン配車サービス: Didi Chuxing(滴滴出行)などのアプリを利用して配車することもできます。
兵馬俑坑の見学にはどれくらいの時間が必要ですか?
兵馬俑坑の見学には、最低でも3〜4時間を確保することをおすすめします。
- 移動時間: 西安市内から兵馬俑坑までの往復移動に約2〜3時間。
- 敷地内での見学:
- 主要な3つの坑(1号坑、2号坑、3号坑)をじっくり見て回るだけでも2時間以上かかります。
- 銅車馬が展示されている「秦始皇帝陵博物院文物陳列庁」の見学にも時間がかかります。
- 始皇帝陵の墳丘まではシャトルバスで移動し、外観を見学する時間も考慮に入れる必要があります。
混雑状況や、どれだけ詳細に見学したいかによって、さらに時間がかかる場合もあります。
兵馬俑のチケットはどこで買えますか? 事前予約は必要ですか?
兵馬俑坑のチケットは、「秦始皇帝陵博物院」のチケットとして販売されています。
- 事前予約が強く推奨されます。 特に観光シーズン(春から秋、中国の祝日)は非常に混雑し、当日券の購入が困難になる場合があります。
- オンライン予約: 敦煌研究院の公式サイト(「兵馬俑チケット購入」などで検索)を通じてオンラインで予約するのが最も確実です。パスポート情報が必要となります。
- 現地購入: 現地窓口でも購入可能ですが、長蛇の列や売り切れのリスクがあります。
- パスポート持参: 入場時にもパスポートの提示が求められる場合があるので、必ず持参してください。
兵馬俑坑の内部で写真撮影はできますか?
はい、基本的に写真撮影は可能ですが、一部の制限があります。
- フラッシュ撮影は厳禁です。 フラッシュは、兵馬俑に残されたわずかな彩色にダメージを与える可能性があるためです。
- 一部の特別な展示物や、保存状態がデリケートな場所では、撮影が禁止されている場合があります。
- ルールに従い、他の見学者の迷惑にならないよう注意して撮影しましょう。
兵馬俑の兵士像はなぜ一体一体顔が違うのですか?
兵馬俑の兵士像が一体一体異なる顔をしているのは、その制作工程と芸術性の高さによるものです。
- 大量生産されたものではなく、それぞれが粘土を盛り付け、丹念に彫刻され、個性的な表情が与えられています。
- 当時の職人たちが、実際に生きていた兵士たちの姿をモデルにした可能性も指摘されていますが、その真の意図は完全には解明されていません。
- この多様性は、当時の人々の個性を反映しており、兵馬俑の最大の魅力の一つとなっています。
始皇帝陵本体(墳丘)はなぜ発掘されていないのですか?
始皇帝陵本体の墳丘は、現在も本格的な発掘が行われていません。 主な理由は以下の通りです。
- 文化財保護: 陵墓内部には、空気や光、湿度の変化に弱い貴重な文化財(壁画、木製品、絹製品など)が眠っていると推測されており、現在の技術では完璧に保存しながら発掘する保証がないため、損傷を避けるためです。
- 水銀汚染: 『史記』の記述通り、陵墓内部には大量の水銀が使われていることが調査で確認されており、発掘作業員の安全性や環境への影響が懸念されています。
- 技術的課題: 未解明な仕掛けや、当時の建設技術を完全に把握できていない点も、発掘を困難にしています。
- 将来の技術進歩への期待: より安全で確実な発掘・保存技術が開発されるまで、安易に手を出すべきではないという慎重な判断がされています。
兵馬俑を見学する際の服装や持ち物の注意点はありますか?
服装: 兵馬俑坑の敷地は広大で、歩くことが多いので、歩きやすい靴が必須です。夏は非常に暑くなるので、帽子やサングラス、日焼け止め、水分補給の準備を。冬は非常に寒くなるので、十分な防寒対策をしてください。
持ち物: パスポート、水分、必要であれば常備薬。大きな荷物は入口で預けられる場合もあります。
飲食物: 博物館内での飲食は制限されている場所が多いですが、敷地内にはレストランや売店があります。






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