富岡製糸場と絹産業遺産群の行き方・費用・観光に必要な日数・ベストシーズン・世界遺産の価値

2024年1月2日

 

富岡製糸場と絹産業遺産群の行き方・費用・観光に必要な日数・ベストシーズン・世界遺産の価値

 

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富岡製糸場と絹産業遺産群(上の地図の⑱)は群馬県富岡市に位置する歴史的な絹産業関連の遺産群であり、世界遺産(文化遺産)に登録されています。富岡製糸場と絹産業遺産群への行き方・費用・観光に必要な日数・ベストシーズン・世界遺産の内容について、解説いたします。旅行の計画に役立つことに役立ち、あなたの旅がより充実することを切に願っています。



富岡製糸場と絹産業遺産群への行き方

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富岡製糸場

旅行に行く時期にもよりますが、繁忙期(GW、夏休み、冬休み等)を外した安い時期の1人旅で1~2万円程度かかります。(日帰り基準)

東京から富岡製糸場と絹産業遺産群への行き方は、以下の通りです。

行き方

1.新幹線+上信電鉄
 ・北陸新幹線(東京駅⇒高崎駅)⇒上州富岡駅
   2時間20分 片道5,300円程度

2.在来線
 ・上野東京ライン(東京駅⇒高崎駅)⇒上州富岡駅
   3時間 片道2,800円程度

乗換案内 – ジョルダン (jorudan.co.jp)

航空券の予約は、エアトリ

 

観光に必要な日数

一般的なスケジュールは、訪れたい場所にもよりますが東京からは、日帰りや1泊2日で楽しめることが多いです。国内ツアーはHISホームページクラブツーリズムを参照ください。
また、現地のアクティビティは、アクティビティジャパンアソビュー!を参照ください。

荒船風穴

荒船風穴(上の地図の④)は、日本最大の自然できた風穴で、世界遺産に登録されています。この特別な場所は、岩塊の隙間から吹き出す冷風を利用して蚕種(蚕の卵)を保存した日本国内で最大規模の蚕種貯蔵所です。

荒船風穴は、明治時代に建設され、地元の養蚕農家である庭屋静太郎によって設計されました。この風穴技術は、天然の冷気を利用して、当時は年に1回しかできなかった養蚕を年に複数回可能にし、蚕繭の増産に歴史的な貢献をしました。

荒船風穴は、岩の隙間から吹き出す冷風を取り入れているため、その貯蔵施設はすき間を塞ぎながら積み上げられています。冬季閉鎖期間中は見学者広場と駐車場のトイレが使用できないことに注意してください。

また、荒船風穴の冬季閉鎖期間中も下仁田町歴史館で荒船風穴の資料展示が行われています。荒船風穴の入場券の半券を持っている方は、下仁田町歴史館の見学が無料になりますので、ぜひご来館ください。

詳細は以下のページを参照ください。
下仁田町

富岡製糸場

富岡製糸場(上の地図の①)は、明治政府が設立した日本初の本格的な機械製糸工場であり、世界遺産にも登録されています。この歴史的な場所は、群馬県富岡市に位置しています。

特徴

・建物の保存
 主要な建物(国宝および世界文化遺産)は、ほぼ創業当初の状態で良好に保存されています。
・産業革命の原点
 近代的設備による工業化の先駆けとなり、日本における産業革命の原点となりました。日本の工業は繊維から始まり、やがて鉄鋼などの重工業へと移行していきましたが、その礎を築いたのが富岡製糸場でした。

富岡製糸場は、繰糸所や繭倉庫など、1872年(明治5年)の開業当時の建物が現存しており、その歴史的価値と技術的偉業を伝えています。


詳細は以下のページを参照ください。
富岡市

高山社跡

高山社跡(上の地図の③)は、世界遺産『富岡製糸場と絹産業遺産群』の構成資産のひとつであり、国指定史跡です。この場所は、養蚕法「清温育」の創始者である高山長五郎(生没年1830~1886)の生家で、養蚕法の改良と組合員への指導を行っていた場所です。

高山社跡は、明治6年(1873)に「養蚕改良高山組」を組織し、自宅で養蚕法の改良と組合員への指導を行った場所です。その後、明治17年(1884)には「養蚕改良高山社」と改称し、初代社長に就任しています。高山社の本部が藤岡町に移転した後は分教場として機能し、現存する母屋は長五郎の死後、1891年(明治24年)に娘婿が建てたものです。

現在は蚕室(養蚕用家屋)と付属屋が残っており、周囲にも蚕室の痕跡が認められるため、世界遺産構成資産としての価値があります。高山社跡は、清温育の歴史や技術を紹介する展示や、園内の見学施設、桜山森林公園などがあります。

詳細は以下のページを参照ください。
藤岡市

田島弥平旧宅

田島弥平旧宅(上の地図の③)は、群馬県伊勢崎市境島村にある歴史的建造物で、国指定史跡です。この建物は、田島弥平(生年 1822年、没年 1898年)によって建てられ、近代養蚕法「清涼育」の開発と、ヤグラ(越屋根、天窓ともいう)付きの総二階建ての近代養蚕農家建築の原点となりました。

田島弥平旧宅は、伊勢崎市境島村地区で、江戸時代中期から蚕種(カイコの卵)製造が盛んな地域でした。蚕の飼育は難しく、収量の差が大きかったため、弥平は各地の養蚕方法を研究し、「清涼育」を大成させ、安定した繭の生産に成功しました。この建物は、初めて屋根に換気用の越屋根を付けた大規模な建物で、1階を住居、2階を蚕室として使用しています。

田島弥平旧宅は、近代養蚕業の発展を知る上で重要な場所であり、その業績は高く評価されています。

詳細は以下のページを参照ください。
伊勢崎市

ベストシーズン

富岡製糸場と絹産業遺産群は通年で観光が可能ですが、ベストシーズンは季節や天候によって異なります。

・春(3月から5月)
 春は桜の季節で、富岡製糸場周辺の桜並木が美しいです。桜の花と歴史的な建造物が調和した風景を楽しむことができます。春は気温も穏やかで、屋外での散策に適しています。

・秋(9月から11月)
 秋は紅葉が見頃を迎える季節で、富岡製糸場周辺も美しい秋の色に染まります。
特に近くの公園や庭園で紅葉を楽しむことができます。

・夏(6月から8月)
 日中の気温が高いため、適切な対策(帽子や日焼け止めなど)が必要です。

・冬(12月から2月)
 富岡製糸場の建物が雪景色に包まれる様子も幻想的です。

世界遺産の価値

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富岡製糸場

富岡製糸場と絹産業遺産群は、群馬県富岡市に位置するな歴史的な絹産業関連の遺産群です。

1.概要

 ・登録基準(ii)(iv)が適用されている。
 ・西欧の技術と日本に技術が融合した和洋折衷の建造物群
 ・製糸場は木骨レンガ造トラス構造の屋根組み
 ・製糸場の他、「田島弥平旧宅」「高山社跡」「荒船風穴」の4資産が登録

2.歴史

 ・鎖国のため近代技術導入に遅れ、江戸時代末期の海外輸出需要拡大に対応できず質低下
 ・明治維新後「富国強兵・殖産興業」、主要輸出品の1つに生糸
 ・フランスからポール・ブリュナ招聘。
 ・資材の窓ガラスや蝶番はフランスから、石や木材は群馬県内、レンガはブリュナ指導で生産
 ・1871年起工、1872年日本初の官営工場である冨岡製糸場完成・操業開始。
 ・工女を全国募集、士族の子女中心、後に習得した技術を日本各地に広めた。
 ・周辺で「繭の改良運動」(田島家、高山社、荒船風穴)
 ・1893年製糸場は三井家に払い下げ、別の民間事業者に引き継がれ、1987年に操業停止した。

3.構成資産の概要

富岡製糸場

1872年に明治政府設立、和洋建築技術融合の繭倉庫や繰糸場などが、建設当時のまま残る。

田島弥平旧宅 1863年に通風を重視した蚕の飼育法「清涼育」を確立した田島弥平建造、建造の主屋兼蚕室、瓦葺総二階建て、喚起のための「越し屋根」、国史跡に指定。
高山社跡

通風と温度管理を調和させた「清温育」を確立した高山長五郎の生家、清温育は日本の標準養蚕法となり、国内外に技術が伝えられた。

荒船風穴

1905年建造、岩の隙間からの冷風を利用した国内最大規模の蚕種(卵)の貯蔵施設、当時は年1回(春蚕中心)だった養蚕を複数回可能とし増産に貢献、国史跡に指定。

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富岡製糸場

まとめ

富岡製糸場と絹産業遺産群への行き方・費用・観光に必要な日数・ベストシーズン・世界遺産の内容について、解説してきました。ポイントを以下にまとめます。

まとめ

 ・旅行にかかる費用は、日帰りで1~2万円(繁忙期を除く)程度です。
 ・西欧の技術と日本に技術が融合した和洋折衷の建造物群
 ・製糸場は木骨レンガ造トラス構造の屋根組み
 ・製糸場の他、「田島弥平旧宅」「高山社跡」「荒船風穴」の4資産が登録


旅行することで様々な経験が出来て、人生が豊かになることでしょう。思い立ったら、興味の沸く場所に足を運んでみてはいかがでしょうか。

世界遺産に興味を持たれた方は、世界遺産検定に挑戦してみてはいかがでしょうか。
世界遺産検定公式HP

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